柴田罫線とは?
柴田罫線とは、昭和の大物相場師として知られる柴田秋豊氏が、延べ5000年以上にもおよぶ罫線を分析し、研究した結果を集大成したテクニカル分析法です。 柴田罫線は、多くの投資家に実践され、相場での実績に裏付けられている株式投資法です。
棒足(ぼうあし)と鈎足(かぎあし)の二種類のチャート上に現れる「売り法則」と「買い法則」によって、個別銘柄の売買タイミングをはっきりつかめる柴田罫線は、テクニカル分析の最高峰と評されています。
柴田秋豊氏が昭和24年10月に、日本で最初に新聞等に発表した平均株価の罫線図増資による権利落ちを考慮した修正平均株価(ダウ・ジョーンズ式)の導入の重要性を力説しました。
柴田秋豊先生
柴田罫線のあゆみ
柴田秋豊先生 | ||
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明治34年 | 4月 | 富山県に生まれる |
明治40年 | 北海道空知郡栗沢村(現在の栗沢町)に移住 | |
大正 7年 | 小樽米穀取引所に18歳で出入り | |
大正 9年 | 東京米穀取引所に20歳で進出 | |
大正12年 | 7月 | 23歳迄に現在の価値に換算して10億円以上を儲ける |
9月 | 関東大震災で定期米が大暴落し、25歳迄の1年半に逆に10億の負債を 背負うに至り、寝食を忘れ罫線研究に没頭する | |
昭和7年 | 32歳で元利金を完済 | |
昭和13年 | 中外商業新報(現在の日本経済新聞)に第一回懸賞付き挑戦広告を掲載 | |
昭和22年 | 相場科学研究所を開設 | |
昭和24年 | 10月 | 150銘柄の単純平均と業種別平均を独創して、大勢観測法を印刷物とする |
昭和31年 | 柴田秋豊著 第一巻 棒足順張之巻を発行(棒足法則書) | |
9月 | 東京と大阪に事務所を開設 | |
昭和32年 | 柴田秋豊著 第二巻 棒足逆張之巻を発行(棒足法則書) | |
昭和33年 | 6月 | 機械式鈎足売買法完成(鈎足法則書) |
11月 | 週刊 全銘柄之指標を創刊 | |
昭和47年 | 柴田秋豊先生没 |
谷畑p昭先生 | ||
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昭和46年 | 谷畑p昭先生 柴田罫線に出会う | |
昭和49年 | 4月 | 谷畑p昭先生、柴田罫線法則書の著作権・販売権を継承する |
昭和58年 | 株式会社清光社を日本橋蛎殻町に設立 | |
平成11年 | 10月 | 「柴田罫線」の商標登録を特許庁が認可 (登録第4324233号) |
平成13年 | 10月 | 柴田罫線棒足法則書、鈎足法則書を半世紀ぶりに改訂 |
柴田罫線 | ||
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平成 7年 | 清光社マルチメディア事業部がソフトウェアの開発を始める | |
平成 9年 | 相場観測ソフトウェア「鈎足/株価判断プログラム」発売 | |
12月 | データ・ゲット株式会社を千葉市に設立 | |
平成10年 | 8月 | 柴田罫線」株式週報を創刊 平成11年 |
4月 | 相場観測ソフトウェア「鈎足/株価判断プログラムVer3」発売 | |
平成12年 | 4月 | 相場観測ソフトウェア「柴田罫線2000」発売 |
相場観測セミナーを開始する | ||
平成13年 | 4月 | 相場観測ソフトウェア「柴田罫線PRO」「柴田罫線 鈎足」発売 |
7月 | 柴田罫線法則伝授ビデオの発売 | |
8月 | 柴田罫線ネットメンバーサービス「柴田秋豊の罫線」発売 | |
平成14年 | 4月 | 本社を東京都中央区日本橋茅場町に移転 |
相場観測ソフトウェア「柴田罫線PRO」(2002年版) | ||
「柴田罫線 鈎足」(2002年版)発売 | ||
6月 | ネットメンバーサービス「柴田秋豊の罫線」を大幅にバージョンアップ | |
平成22年 | 5月 | 本社を東京都中央区京橋に移転 |